| ブルーノタウトの会 | ||||||||||||||||||||
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■新着情報 | |||||||||||||||||||
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◇ブルーノタウト生誕130年記念出版 『波濤を越えて』 (2011.05.14up) ◇ブルーノタウト展示会のお知らせ (2011.02.15up) ◇ブルーノタウト生誕130年記念シンポジウム (2010.11.08up) ◇第4回ブルーノ・タウト賞 授賞式 (2009.12.18up) ◇洗心亭 修復工事 (2008.11.14up) ブルーノ・タウトが2年3ヶ月居住した少林山達磨寺内にある 史跡・洗心亭は、2008年6月から群馬県と高崎市の補助をいただき 文化財修復工事を行っています。 ◇第3回ブルーノ・タウト賞 授賞式 (2008.10.09up) ◇DVD「高崎を愛したブルーノ・タウトの工芸を語る」 (2008.3.24up) タウトのお世話係として洗心亭に派遣されていた水原徳言氏に、 往時のタウトと工芸品について、長期間にわたって 取材収録した貴重な資料(非売品)。 ◇冊子『ARJUNA (アルジュナ)』創刊 (2008.3.24up) →公開終了
◇第2回ブルーノ・タウト賞 授賞式 (2008.3.24up) ◇ブルーノ・タウト離日70周年記念 ブルーノ・タウト賞の創設 (2007.1.11up) 1933年5月に来日し、1936年10月、トルコの大学教授として招聘されて離日するまでの間、2年3カ月を高崎に住まい、 日本の美と文化を世界に知らしめ、20世紀の知の巨人と評されるようになったプルーノ・タウト氏は、1938年58歳の若さでトルコで客死したが、 彼は生誕の地ドイツではなく高崎に眠ることを願っていました。 彼の前半生はドイツで建築家として、流転の後半生は高崎での著述と工芸指導によって知の巨人として名を馳せましたが、 イタリアのルネサンスを支えたメジチ家の例を引くまでもなく、文化芸術の振興には多大な支援が必要で、ナチスに追われたタウトの場合も、 高崎時代を支えた井上房一郎翁を初めとする多くの支援者あってのものです。この先人の功績を忘れてはならないと思います。 1936年10月8日、タウト氏が「少林山バンザイ」「日本バンザイ」と列車の窓越しに叫んで高崎を去っていったあの日から丁度70年目の本年、 タウトの会では、氏の滞日中の逃避生活と不朽の文化活動とを支援された多くの方々の遺徳と、タウト氏の報恩の情を継承し、 今なお地域の文化芸術の振興を支援くださる有徳の士を表彰する「ブルーノ・タウト賞」を制定し、活動を次世代に継承するものです。 |
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| ◇タウトゆかりの高崎に「ブルーノ・タウト資料館」が開館 (2004.7.31up) 2004年5月14日に群馬県高崎市八千代町の学校法人堀越学園本部の一階にブルーノタウト資料館が開館しました。 |
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| ◇「美しい椅子2 にっぽんオリジナルのデザイン力」でタウトを紹介(2004.7.31up) 2004年4月20日に「美しい椅子2 にっぽんオリジナルのデザイン力」(島崎信+東京・生活デザインミュージアム著(株)エイ出版社)が発売されました。同書では7人の日本人デザイナーとともに日本と関係の深い4人の外国人デザイナーが紹介されており、そのなかの一人としてブルーノ・タウトが挙げられています。 |
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