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ブルーノタウトの会

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ブルーノ・タウト離日70周年記念
ブルーノ・タウト賞の創設


 1933年5月に来日し、1936年10月、トルコの大学教授として招聘されて離日するまでの間、2年3カ月を高崎に住まい、日本の美と文化を世界に知らしめ、20世紀の知の巨人と評されるようになったプルーノ・タウト氏は、1938年58歳の若さでトルコで客死したが、彼は生誕の地ドイツではなく高崎に眠ることを願っていました。

 彼の前半生はドイツで建築家として、流転の後半生は高崎での著述と工芸指導によって知の巨人として名を馳せましたが、イタリアのルネサンスを支えたメジチ家の例を引くまでもなく、文化芸術の振興には多大な支援が必要で、ナチスに追われたタウトの場合も、高崎時代を支えた井上房一郎翁を初めとする多くの支援者あってのものです。この先人の功績を忘れてはならないと思います。

 1936年10月8日、タウト氏が「少林山バンザイ」「日本バンザイ」と列車の窓越しに叫んで高崎を去っていったあの日から丁度70年目の本年、タウトの会では、氏の滞日中の逃避生活と不朽の文化活動とを支援された多くの方々の遺徳と、タウト氏の報恩の情を継承し、今なお地域の文化芸術の振興を支援くださる有徳の士を表彰する「ブルーノ・タウト賞」を制定し、活動を次世代に継承するものです。



第4回ブルーノ・タウト賞授賞式 【2009.10.09】

第4回ブルーノ・タウト賞表彰式を報じる「毎日新聞」2009年10月9日


表彰状を受ける廣瀬正史 住職(少林山達磨寺)
表彰状を受ける廣瀬住職

第4回ブルーノ・タウト賞表彰式 集合写真






第3回ブルーノ・タウト賞授賞式 【2008.10.09】

第3回ブルーノ・タウト賞表彰式を報じる「上毛新聞」2008年10月9日

第3回ブルーノ・タウト賞表彰式 集合写真








第2回ブルーノ・タウト賞授賞式 【2007.10.08】


原 浩一郎会長(右)より表彰状を受ける芦野宏氏(日本シャンソン館館長)
表彰状を受ける芦野宏氏(日本シャンソン館館長)



第1回ブルーノ・タウト賞授賞式


原 浩一郎会長(右)より表彰状を受ける山崎富治氏(山種美術館館長)




ブルーノ・タウト賞表彰式後、「頑張れ上州人」と題して
記念講演を行う山崎富治氏(山種美術館館長)




















第1回ブルーノ・タウト賞を大きく報じる地元最大の購読者数を誇る「上毛新聞」2006年10月9日
















ブルーノ・タウト賞受賞者贈呈品

 ブルーノ・タウト賞の副賞は、タウトの支援者井上房一郎氏に見いだされ、デザインの夢を託されて世に出たタウトの会の牽引者(副会長)大木紀元氏の企画・デザインを、群馬県の開発支援で、高崎の地場産業で伝統ある万年筆製造技術を有する島田製作所が、タウト賞にふさわしい筆記具に完成させた逸品です。

 ペンのボデーはタウトが好んで使った漆の本塗りで世界に誇る輪島。ペン先は技術ナンバーワンのタウトの故郷ドイツ。キャップに冠したタウトの出世作「鉄の記念塔」と「グラスハウス」の緻密なフィギュアは長野。無垢の胡桃の木から削り出したケースは木材王国群馬の川場等々、多くの卓抜した技術と協力を得て、特別数量限定製作されました。




ブルーノ・タウト賞副賞 TAUT−1913とTAUT−1914




タウト離日70年にちなんで、樹齢70年の胡桃の銘木をくりぬいたペンケース入り万年筆とボールペンセット




タウト好みの豪華化粧箱に収められた副賞品 限定製造350セットを特別限定販売
1セット168,000円(税込)
収益金の一部はタウト顕彰活動基金に充てられます
お申し込み・お問い合わせは
→株式会社島田製作所