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ブルーノタウトの会

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■ブルーノ・タウトとは

ブルーノ・タウト
Bruno Taut (1880‐1938)


◇20世紀を代表するドイツの建築家◇
ドイツ近代を代表する偉大なる建築家。ベルリンを中心に、新しい素材を駆使した前衛的な作品を数多く発表。その先駆的な発想の高い芸術性により20世紀の最も興味深い先覚者の一人である。
まさに建築界における"知の巨人"ともいえるタウトは、建築の完全なる美を追い求め、ナチス政権から亡命し、日本文化に巡り会うこととなる。

◇「われ日本文化を愛す」◇
「それは実に涙ぐましいまで美しい」20世紀初頭の日本の建築界のトップが集まる「日本インターナショナル建築会」の招待により、タウトが桂離宮を訪れた時の言葉である。賓客として桂離宮を始め伊勢神宮、飛騨白川など、日本建築の美に触れる機会を得たタウト。建築物だけでなく、広く日本の伝統芸術や当代一流の文化人達を歴訪し、独創的な著述、講演などを通してその評価、紹介につとめた。約3年半の日本滞在の後、タウトは更にトルコに旅立つ。この“美の航海者''タウトは「われ日本文化愛す。」という言葉を群馬県高崎市少林山の石碑に残した。

◇高崎とタウト ◇
"知の巨人" "美の航海者" ブルーノ・タウトが日本で最も長く滞在した場所が群馬県高崎市の少林山達磨寺境内の「洗心亭」である。彼が青春時代を過ごしたベルリン郊外のコリーンに似た高崎の田園風景を眺めながら、およそ2年間、この地を拠点として、建築物に限らず、様々な芸術的工芸作品を数多く制作していった。日本文化を愛し、日本で独自の芸術活動を展開していったタウト、高崎市、群馬県が次世代へと語り継ぐべき時代を超えた文化人なのである。


年 譜

1880 北東ドイツの束プロジャ、ケーニヒスベルクに生まれる。

1909 べルリンで建築恭務所を開く。

1913 「鉄の記念塔」で一躍注目を浴びる,

1914 「ガラスの家」で国際的評価を得る。

1930  ベルリン・シャルロッテンブルク工科大学の教授となる。

1933「日本インターナショナル建築会」の招待を受け来日。
     柱離宮と出会う。

    絵画や陶器等の数々の名品と接し、多くの文化人や
    芸術家と出会う。 日本文化に関する著者を発表し始める。

1934 群馬県高崎市で工芸運動の指導に携わる。

     竹などの日本の伝統的な素材と技法を活かし独創性に
     富んだ工芸作品を発表。

1935 銀座「ミラテス」でタウトの工芸品が売り出される。

     熱海・日向別邸の設計に取りかかる。
 
     トルコ招聘に応じる。

     イスタンブール芸術アカデミー建築科教授に就任。

1938 トルコボスボラス海峡を臨む自宅で死去。
「鉄のモニュメント」,ライプツィヒ国際
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リオン
「グラスハウス」の復元模型
ガラスの建築積み木
「日向邸」静岡県熱海市
椅子
社交室のインテリア